悲しいときに浮かぶのは いつでも君の顔だったよ

深刻だったゾーンから抜けて、やっと健康的に生活できている。

ある程度のリズムが生活の中でできて、時々とても悲しくなったり心がそわそわすることもあるけど、どうにか波を乗り越えている。

5月から東京に本格的に帰ってきて、人生ではじめてアルバイトをはじめた。

近所のファミレスでのバイトで、自分の好きなアーティストがファミレスが好きだったり、和山やま先生の『ファミレス行こ』を読んだばかりだったという理由だった。応募したときは、せっかく安定してきたメンタルが再び崩れて、一時はもう立ち直れないぐらいかもしれないと思ったが、実家で数日すごして面接のために戻ってきた。バイトも受かり、毎日働いている。ファミレスはとても忙しくて、入ったばっかりの自分は足手纏いではないかと、いつも不安だった。しかし、同じシフトに入ったかたに褒めてもらったり、助かると声をかけてもらえたことで安心することができた。学生時代に飲食店で厳しく指導されながら、働いていた経験がとても役に立っている。当時は、自分だけ厳しく指導されることに不満を感じていたが、今になればとてもいい経験だったと思うことができた。飲食から自分が志望していた業界へ就職し、もう2度と飲食で働かないと思っていたので、今再び飲食店で忙しなく働いていることがとても不思議だ。でも、ここで飲食に戻ってこなかったら、当時の不満に感じていたことを不満のまま生きていたのかもしれない。そう思うと、また飲食で働いて良かったと思った。

 

私が、いつもあのとき思えば大変だったけどいい思い出だったということを話すたびに思うことがある。もし、自分の子供や年下の人間が「今、とても大変だ」ということを相談してきたとして、「あのとき思えば大変だったけどいい思い出だったと思えるときがくるよ」という声掛けはしないようにしようということだ。きっと、今がとても大変で辛いという気持ちがいっぱいだから気持ちを吐露してくれたのに、不確かなことで励ますのは違う気がする。今の辛い気持ちを受け止めてあげたいし、そこに不当なことがないか疑問を持ちたいし、抱えている気持ちが少し軽くなるように楽しくしてあげたい。自分が辛かったときに、母はいつも「いつかよかったと思える」と励ましてくれたけど、私は辛い気持ちを共感してほしかったし、受け止めてほしかった。これが絶対悪いと思ってるわけじゃないけど、気持ちを受け止めて心に寄り添ってあげられるようになりたい。

 

私はやりたいことも叶えたいことも、大体はラッキーなことに叶えることができた。けど、これからの人生で何かを成し遂げたいという野望を持つことはできなかった。これから先にのことを考えたときに、人として成熟した大人になりたいと思った。人の心や気持ちに寄り添って、なるべく回復や楽しい気持ちにしてあげたい。そのためには、たくさん辛い思いも失敗もすることも必要なんだと思う。いろんなことを経験して、そこから何かを学びとって自分に染み込ませていくことの繰り返しだ。10年後、もっと器が広くてどっしりと構えられる人になれるようにがんばる。