屋根の色は自分で決める

過去のことは、いいことも悪いこともどんどん忘れ去ってしまう。

 

さっき、自分の背負いたいランドセルを選ぶ子どもの映像をみた。最初は両親が選んで欲しそうなランドセルで、次は自分が背負いたいランドセルを選ぶというもので、みんな自分が本当に背負いたい色のランドセルを選ぶときの顔が、すごく美しくて感動した。考えてみれば、ランドセルを選ぶことが自立への第一歩なのかもしれない。

 

私は、親の意思が強く反映される家庭で育った。小さい頃は、親が選んだものを受け入れるしかなくて、ある程度成長して自分の意思で物事を選択することができるようになった頃も、親が気に入らないと何か小言を必ず言われた。私は意思が固かったから、ふんって思っていたけど、思い返せば自分が選択したものを肯定されることが、小さい頃から本当に少なかった。自分の好きな音楽を家族がいる場面でかけることも少なくて、友だちの家の車に乗せてもらったときに、友だちが好きな音楽をかけてもらってることに驚いた。あんまり考えていなかったけど、少しづつ自分の自尊心は傷ついていたんだと思う。今でも自分が選んだものを人に見せたり、公開することが少し怖い。

 

高校生だったある朝、自由を実感した朝があった。頭ではわかっていたけど、自分ですべてのものごとを選んでいく自由や権利が私にはあって、それを否定される筋合いはないんだと、学校へ通学していく道すがら、体感した。お告げのような。本当にそうなんだと、心の底から思った。そのときは、まだ実家に住んでいたので、なんとしてでも、この家を出なくてはいけないと思った。

 

それから、一生懸命努力して実家を出ることができた。カネコアヤノの「燦々」は、上京する前としたての頃に、よく聴いた。歌詞になんども励まされたし、自分の意思や選択で生きていくと聴くたびに覚悟した。

1人で暮らすようになった頃は、自分が暮らすために選んだ全てが愛おしくて、大切に思えた。2年間は懸命に働いて、学校へ通った。生きているのが楽しかった。苦しいこともたくさんあったけど、一部の苦しみから解放された。

 

昨年、自分の夢を叶えた。でも、どうしても仕事と自分の生活を両立することができなかった。自分の生活がどんどん破綻していきながらも、仕事をすることは止められないと思ってた。自分の暮らしや自分自身よりも仕事が大切だった。でも、自分自身は暮らしの上に成り立っていて、自分自身があるから仕事があるというとに気づけなかった。

 

今、自分の暮らしを愛することはできていない。自分自身のことも肯定できないし、自分が何をしたいのか、これからどうしたいのかまだわからない。でも、自分を愛していた時期があって、自分の暮らしや自由を切望して努力して勝ち取った、未来が今であることを忘れてはいけないなとランドセルを選ぶ子どもをみて思った。これからは、自分自身のことを肯定できるようになって、自分の選択や自由を愛せるようになるためにがんばろうと思う。本当に心の底から。