人のきもちとして間違っている

自分がそこに存在してない、その人のパーソナルな記憶がのぞく瞬間が好き。

なんて言えばいいかな。お母さんが持ってた今まで見たことがなかったピアスとか、仲がいい友だちの家に飾ってある写真とか、学校の先生の恋人の話とか、いつも知っている人が自分の知らない場所で、見たこともない顔をして笑っているのかもしれない、というかしているんだろうなと思う瞬間。個人には、きっと大切にしたいものがあって、それがその人の目にみえる命なのかもしれないなと思った。

 

柴田聡子さんの「あなたはあなた」とか「ようこそ」「どうして」って、これの現象の歌だと勝手に解釈して聴いてる。いいよね〜

友だちの家とか行くと、これの連続なわけじゃん。胸が苦しくなっちゃうよね。あなたは私の知らないあなたがあるんですねって思う。嫉妬とかでもなくて、不思議なんだけどもっと愛おしく思えるようになる。素敵なことだよ。ここ数年、人の営みの尊さがやっとわかるようになったんだ。

 

もし私が、わたしの体から離れて、遠くから私が生きているのを見つめたとき、どんな気持ちになるのかな。これはきっと憶測でしかないんだけど、私はわたしが生きてるのをみつけた瞬間にわたしに恋をするんじゃないかと思ってる。いつか生きているわたしに偶然会ってみたい